うまくいくことは積極的にするし長続きするんだけど、
これまでどんなことからもイヤになったらぽーい。
あー疲れた、やーめた。
ってしてきた自分。
そんな生活を28年間してきたから、いざ力を発揮するとき、
粗がみえたり、ツメが甘かったりしていた。
高校まで特に挫折することなく、ぬる~い生活をしてきたな・・。
初めて挫折したのは大学の部活。
ラクロスで、19歳以下日本代表候補になった。
またとないチャンス。
代表だから当然周りはうまい人ばかり、周りを気にするあまり
当然、ここで私の弱さが出る。
「精神的弱さから代表として遠征に連れて行くことはできない。」
ヘッドコーチにそう言われて結局最終選考で落ちた。
大泣きして周りに当り散らして迷惑をかけた。
その時は何もわかってなかった。周りの人に支えられてここまできていたことを。
いろんな人が応援してくれていたことを。
なのに当り散らして、なぐさめてもらうことで自分の気を晴らしていたんだなあ・・
そんなことがあって、そのまま社会人になった。
ここでも当然ボロが出る。
体育教師の先輩先生方は、学生時代私と同じように部活に汗と涙を数知れず
流した人たち。
でも私とは中身が違う。
いやなことがあっても、歯を食いしばって耐えてきた人たち。
そんな人たちからみたら、わたしはぬるくて仕方なかったと思う。
「お前はアカン。弱い、ぬるい。。教師に向いてない」
正直に私を叱ってくれ、怒ってくれた。
最初はふてくされて、ムカついてた。
でも働いてた4年間、私のことを見捨てずに、心から怒ってくれた人がいたから、
今の自分がいる。アフリカまでこれた自分がいる。
わかってなかったんだな、社会に出ることはどういうことか。
ましてや、教師として生徒の前に立つ人間は少なくとも弱い、ぬるい人間では
だめだということを。
そんな自分を何とか変えたい。
人生において、つらい、しんどいことから逃げずに耐えることを経験しないと
自分が腐る。いつまでも弱いままだ。
そう思って、協力隊に応募した。
選考通って着いた場所が今の国、ブルキナファソ。
日本とは大違いのこの国。
好きなときに好きなものが食べれない、買えない。
顔洗いたいのに水が出ない、電気も何時間も停電する。
町を歩けばみんな私を見るけど、それは面白がって冷やかした目で。
話す言葉はフランス語。
何言ってるかわかんない、伝わらない、話ができない。
こんなところで2年間も生きていけるんだろうか。
そう思った。着いてすぐ、帰りたいと思った。
毎日毎日、帰りたいって思った。
自分って弱いな・・。こういうところ、イヤやわと思う毎日。
何しに自分がここへ来たのか、考える毎日。
自分にカツを入れるためにきたんだ。
のこのこと2年間終わってないのに日本へ帰るわけにはいかない!!
その思い一心でひたすら耐えた。
大げさかもしれんけど、ここでの生活は私にとって今まで経験したことのない
毎日が忍耐の日々だった。
2年目任地変更で、いきなり一人で授業することになった。
ここでも最初はふてくされた。
何でいきなり任地変更やねん!!って。
また毎日毎日帰りたいって連発した。
あー・・いつになったらこの気持ち変わるんや。。
生徒の言ってることがわかんない、イライラする。
そんな毎日が続き、残り2ヶ月になった3学期、自分の心に変化があった。
ゴールがみえてきたからか、周りをじっくりみれるようになった。
生徒ともっとしゃべりたいと思うようになった。
ブルキナベのこと理解しようって思えるようになった。
電気が何時間も停電しても、夜に外であまどぅと星がキレーやねー☆
って話しながら笑えるようになった。
水が出なくても、ためた水で水浴びしたら全然いけるやん!!って
焦らないのが普通になった。
1年目の私からは想像できないな。
学校も来週で終わり。今日でグラウンドでの授業がすべて終わった。
3学期、1,2学期より生徒との会話が楽しくてやっとのってきたところだったけど
もう遅い。終わってしまった。
フランス語のわかんないわたしに、いつも話しかけてくれた生徒たち。
ウソかほんとかわかんないけど、私が来年はもういないってわかった生徒の中に、
泣いてくれた生徒がいた。
それだけで、私はここに来た意味があったんじゃないか。
いつか生徒たちの中に、日本人の人に体育の授業を教えてもらったってことを
思い出してくれる生徒がいたら、それだけでわたしは十分だ。
最後、生徒と撮った写真。
こうして心から生徒と笑える日が来るとは最初は思わなかった。
ほんとに心から笑えた瞬間だった。